建勳神社について


建勳神社について

舞鶴山の西側に、織田信長をまつった建勲神社がある。
天童藩知事織田信敏は、東京の邸内に織田信長をまつって織田社と称していたが、明治2年 (1869)に神号の宣下を願い、同年11月建織田社の神号をたまわった。次いで翌3年(1870) 建勳社(たけいさおのやしろ)と改称された。
 その間天童織田藩内においては、舞鶴山上に社殿の建設が進められた。明治6年(1873)県社に 指定され建勳神社になったが、年々参拝人も多くなり、その場所ではあまり高所にあって不便だというので、明治17年(1884)になって社殿を現在の場所に移築された。なお建勳神社は京都船岡山、兵庫県 柏原町と天童市の3社だけであるが、船岡山の建勳神社には信長が愛用した刀や鎧が保存され、重要 文化財に指定されている。
 天童市立旧東村山郡役所資料館発行資料より

建勳神社例大祭

毎年3日には「建勲神社例大祭」が開催される。

今年は晴天に恵まれ、大勢の市民の見守る中子供達による維新軍楽隊を先頭に、甲冑行列、子供みこしとつづく行列が町を練り歩いた。

(写真は建勲神社参道石段)

左上 維新軍楽隊
右上 甲冑行列
左  子供みこし

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