EPISODE 1


理容店の朝

ある日曜日の朝。寝ぼけ顔で店の戸を開け、鏡越しに見えた先輩に「おはようございます」の挨拶をなげると、なぜか違う場所から返事が返ってきた。ふと客待ちを見ると、そこには、もうお客さんが二人ほど座って待っていた。開店一時間前なのに、TVを見てくつろいでいる。こっちは、起きたばかりで、パジャマ姿なのに・・・思わず「こんなに朝早くから来てんじゃねぇよ。客待ちの掃除ができねぇだろ」と言ってやりたくなった。とそんな時、マスターがきて「こんなに朝早くから来ていただいてすいません。カラ茶ですが、どうぞ」と、待たせていることをわびて、お茶をさしだした。さすがマスターだ!営業時間前にきているのに、さもこちらが悪いようにわびている。プロだなと思った。また、「ちょっと早かったかな」とお客さんに言われて、「いいえ」と心とはうらはらに、微笑んで返す俺も、プロ?だなーと思った。

(昭和63年5月  セントラル150号)


黒いブリーフ

ある日の夕方、左頬に大きな傷をもつ土方風のお客さんが入ってきた。大声でなんだかんだ言っているので、うるさい人だと思いつつ、先輩の技術を後ろに立って見ていた。
すると「兄ちゃん、ヒマならランドリー行って、俺の洗濯物だしてこいよ」なんて言い出した。ふざけんなよと思いきや、みんなに行ってこいと言われしぶしぶ取りに行った。
同僚は、ひっしにセットしているかと思えば、俺はランドリーで、お客さんのパンツを乾燥機に入れている。これほど情けないと思ったことはなかった。後で聞いたら、そのお客さんは、刑務所を出たばかりで、やっとカタギの仕事についたという元ヤクザだったらしい。
乾燥機の中でぐるぐる回っている下着を見ながら、こんなことまでしなきゃならないなんて、下回りとは大変だなぁと思った。あの時の黒いブリーフは、今でも目に焼き付いている。

(昭和63年6月  セントラル151号)


道具は職人の命

イヤなお客さんが来た。シェービングにうるさい、じいさんである。イヤなおきゃくさん専用のトーンの低い「いらっしゃいませ」をすませ、椅子に案内した。前回俺が中継ぎで入り「痛いから、カミソリをといでこい」と言われた。今回は同僚が中継ぎに入り、案の定もんくを言われたらしく、ストラップしたり、なんども蒸したりしていた。お客さんが帰り、二人でそのお客さんの悪口を言いあった。
「なんて言われた」と聞くと、じいさんは「道具は職人の命だ。大切にしろよ」と言ったという。「格好いいこと言うじゃねぇか」なんてその時は大笑いしたけど、後になって、なんだかそのセリフが妙に心に残り、思わず自分のレザーを研磨した。
使い捨て時代が到来し、理容でも替え刃を使う店が多くなってきている。こんな時代に、こんな職人カタギのイキなセリフを、お客さんから聞くとは思ってもみなかった。ちょっとじいさんを見る目が変わってきた。今度来たときは、心から「いらっしゃいませ」が言えそうだ。

(昭和63年7月 セントラル152号)


マスターはお見通し

マッサージをしていると、ふとお客さんが「大沼君は、いい男になったなぁー」なんて言い出した。何のことか解らなかったが「いい男」と言われて悪い気はしなかったので笑顔を返した。「はじめ来たときは、ヒョロっとしていて、こんなんで続くのかなと思ったよ。今は面構えがしっかりしてきて、男らしくなったよ。仕事の楽しさが解ってきたか」などと、次々に誉め言葉をもらった。
お客さんなんて、ただ座って寝ているだけかと思ってたが、結構注意深く見ているんだなと思い直した。
ついつい、俺も気分よくなって「マッサージ多めにしておきますね」なんて言っていると、後ろからマスターが「こいつにあんまりそんなこと言わないでください。おだてられるとすぐ調子にのりますから」とあしらわれた。マスターは、もう、俺の性格、行動パターンを見切っている。なんといっても、一番俺を注意深く見ているのはマスターである・・・。

(昭和63年7月 セントラル152号)