EPISODE 4


はじめてのカット

昼飯を食べて店へ出ると、先輩が中学生のカットに入れという。今までカットはさせてもらってなかったので、本当かよと思いつつお客さんの所に行った。舞台に立った以上やるしかない。ここでしくじったら、また当分やらしてもらえなくなるだろう。せっかくもらったチャンスを逃がすわけにはいかない。はじめてやらしてもらうとあって、色んな事が頭をよぎった。そのうち心臓がドキドキしてきて、本当に俺がカットして仕上げられるのかよ?という不安が押し寄せてきた。
そのせいか、鋏とくしの動きがちぐはぐである。まるで、初めて開閉したときのように。それでもなんとか全体をカットし、ぼかしに入った。普通のぼかしも満足にできないのに、このお客さんの襟足は真上に生えている。なんてこった。理屈でとりかたは解っていてもやったことがないからどれくらい切ったら良いのか解らない。切りすぎたら、一巻の終わりだと思うと、どうしても切るにはふみきれなかった。
そんな俺を見かねてか、先輩が「切っても大丈夫」と声を掛け、アドバイスしてくれた。地獄に仏とはまさにこのこと、その一言で不安が安心感に変わり一気に仕上げられた。マスターに直してもらい、なんとか無事仕上げられることができた。マスターの酷評は覚悟していたが「あれぐらいできれば、今度からやらしてやってもいいぞ」と、思いがけない評価。ただ無我夢中でカットしていたので、自分で仕上がりの良し悪しはよくわかっていなかった。
初めてとはいえ、お客さん一人を与えられたというプレッシャーに押されすぎたと思った。自信をもってカットすることができなかった。失敗したら・・・お客さんに文句を言われたら・・・そんなことばかり頭にちらつき、どうにもカットがスムーズにいかなかった。お客さんの前でオドオドしているようじゃ、やる前から負けである。今後は、技術面+精神面もきたえなければ!

(平成元年3月  第160号)


道具を見極めろ

ヒゲの濃いお客さんに入る時に、マスターに「深剃りの時、替え刃を使ってみろ」と言われた。うちの店は、替え刃がダメというわけではないが、研磨も含め、レーザーを一人前にこなせるまでは、レーザーを使うことをすすめられる。俺は今までずつとレーザーを使ってきたので、替え刃を使うのは初めてだった。
ヤサカでワンシェーブして、替え刃で深剃りに入った。スッー!レーザー特有のジョリジョリという音もなく、一回なでただけで、つるつるになった。「こいつはすげぇー!俺のレーザーの切れ味とは段違いだぜ!!」あまりの切れ味にびっくりした。中央の学生の頃、色んな先生に、レーザーと替え刃について話を聞き、自分なりに判断し、俺は一生レーザーで通すと誓っていたが、この一瞬でその誓いは見事に崩れ「替え刃のほうがいいな」という気持ちがこみ上げてきた。
と、そこまでは良かったが、そんなことを考えているうちに、剃った所から、プツプツと血がにじみ出してきた。あっという間に一面血だらけ。「ゲッ」それを見てからは替え刃は使えなかった。正直言って使うのが怖かったからだ。残りはレーザーに変えて剃った。俺のレーザーでは血はふきでなかった。
終わってみて、マスターに使ってみてどうだったと聞かれた。切れ味のすごさと怖さを、感じたままに答えた。「大沼、レーザーばかり使っていたんじゃ、替え刃の良さはわからない。かといって、切れ味がいいからと替え刃ばかり使うのも俺はどうかと思う。互いに利点、欠点はある。それを見極め、用途に応じて使っていくのがベストではないか。俺はそういったことを、仕事を通しておまえに感じ取ってほしいんだよ。」とマスターに言われた。
人の話だけを聞いて、使いもせず、替え刃はダメと決めつけていた俺は「井の中の蛙」だった。使ってみて、その切れ味のすごさと、怖さを同時に実感したし、自分では良い勉強になつたと思った。今では、お客さんのひげの濃さ、深剃りの度合い、年齢などに分けて、両方とも使用している。でも、グータラの性格のせいか、研磨がめんどうになると、すぐに替え刃にたよってしまう。イカン、イカン・・・。

(平成元年4月  第161号)


ぼくの長い一日

朝九時。目覚ましのベルがなる。起きなくてはと思いつつも、ベルを止めてまた寝る。もう一つの目覚ましがなりやっと起きる。うちの店は他の店に比べ開店時間が遅く十時なので、朝はとても楽である。
九時二十分の掃除までに、洗顔・歯磨き・セット・朝食をすませなくてはならない。いつもギリギリだ。かといって十分早く起きようとは思わない。
掃除開始。鏡ふきとモップ洗いが主な自分の分担である。外へでて、鼻歌まじりにモップを洗うのは結構好きなひとときだ。が、たまに同じ歳くらいのカップルがいい車に乗って、楽しそうに目の前を通り過ぎていくのを見ると、「なんで、俺はこんな事しているんだろう・・・」と、汚いモップを見つめながら暗い気持ちになってしまう・・・。
朝の遅いうちの店にとって午前中は短い。昼飯まで中継ぎを三〜四人入れば、あっというまである。
一時頃、奥からいいにおいがただよってくる。そのにおいで、今日のこんだてを想像する。「今日は焼き魚かな!?」なんて考えていると、たいていは、お客さんの顔にシャンプーを垂らしたりしている。そして、一時前後に交代で食事にあがる。
四時頃までは、そんなに混まないので、店はスローなペースで回転している。そんな中のヒマな時間に、コーヒーブレイクがある。「忙しいときには、飯も食わせないんだ。ヒマな時位お茶にしろ」という、マスターの温情である。
四〜六時。だんだん混んでくる。客待ちで待つ人も何人か目についてくる。こうなると、仕事がハイペースになり、色んな事を考えているヒマがなくなる。ただひたすら、自分の仕事を早く済ませ、椅子の回転をよくすることだけが、頭をよぎる。七時頃になり、やっとお客さんもとぎれてくる。
七時三十分、閉店時間「おっと、うまくいくと今日は早く終われるぞ」と思ったとたん「まだ、いいですか!」の声!!こんな事は、日常茶飯事だ。昔はよく腹を立てたが、期待する自分が馬鹿だということに最近気づいてきた。
十一時前後、風呂へ順番を待って入る。二時に寝ても七時間寝れるから、風呂上がりでも、夜は充分にに活用できる。これからが、自分の好きなことをする時間だ。さしずめ自分は、缶ビールわ一本あけ、大好きな北方謙三の小説を読み、眠気がきたら床にはいる。
二時。こうして僕の長い一日が終わる。

(平成元年5月  第162号)


コンテストを見て・・・

先日、東京大会を見に行った。大会場では友人・知人がたくさんいて、すかさず立ち話になってしまう。久しぶりのご対面もあり、さながら、ちょっとした同窓会である。競技を見ているよりも、立ち話の時間の方が多いのではないかと、反省する面もある。しかしこれも、また、大会を見に来る楽しみの一つであることは確かだ。
会場は二階から観戦するようになっており、ただでさえ見にくいのに、大勢のギャラリーで、ほとんど見えない状態だった。なんとか身をのりだすと、メッシュアイロンの競技がはじまろうとする寸前だった。その中に一人の友人を見つけた。専門学校にいた頃、机が隣で、よく一緒にバカばっかりやっていた彼が、今、アイロンを片手に、スタートの合図を、今や遅しと真剣な表情で待っている。彼は他の大会でも、同じ競技に何度かチャレンジしているが、まだその努力は報われていないらしい。しかし、それでもまたチャレンジしてくる、そんな彼のファイティング・スピリッツを、まのあたりに見せつけられると、俺の中の静かな湖面に一石をとおじられたような気分になる。俺は、それだけでも、この大会を見に来て良かったと思う。
カットすら満足にできない俺に、ハイレベルな競技会の作品について、トップがどうだのと説明されても、よく理解できない。しかし競技を見ることによって「こんなスゴイ作品をつくれたらいいな」「あいつもやってんだ、俺もやったろうじゃねぇか」とか、そういう思いが、必ずこみ上げてくる。それが、後の俺のやる気につながれば、こんなすばらしいことはない。それだけでも、この大会を見に来た価値はある。
家でカウチポテトしているのなら、ちょつと外へ足を向けてみるといい。店で勉強しているのとは違う、意外な何かを見いだせるかもしれない。
余談になるが、どうも会場の雰囲気が今ひとつ暗い。もっとショー的要素を加え、司会は古館伊知郎。選手入場の曲に、アントニオ猪木闘魂のテーマ、競技中は、ダンサブルなディスコサウンドにした方が、華やかで活気あふれ、おもしろみがでてくるのではないだろうか!?

(平成元年6月  第163号)