EPISODE 5


大切な教科書

とある学校の校長先生のヘッドマッサージをしていた時、先生に「床屋さんは、頭の中の脳の事なんかも勉強するんですか?」と尋ねられた。自分は、専門学校で習ったということを話し、その他習う、色々なについて説明した。先生は「いろんな勉強をするんですね」とえらく感心したようすだったので、自分も調子にのり「いやぁ、有名な大学の先生が来て教えてくれるのですけど、まるで、医者と同じようなことまでも、勉強するんですよ」なんて得意になっていた。「ほほぉー」さらに感心した様子だった。
すると先生は「いやね、このごろ左の脳というか、その辺が痛くてね、何が原因でしょうかね。左の脳はどんなときに使うのですか」と尋ねてきた。えっ!!左の脳・・・たしか生理解剖学で習ったよな。しかし、それ以上は思い出せない。教科書は押入の中で、卒業以来こんな勉強はしていない。相手は校長先生!舌先三寸でごまかすわけにもいかない。まいった。すみません勉強不足でと謝った。今度お見えになるときまで調べておきますと言って、なんとか、その場をつくろった。
その後、押入の中のヨダレと落書きで、ボロボロになった教科書をだし、調べた。詳しくは載っていなかったので、自分なりに他で調べて、万全の用意で、校長先生が来るのをまった。
約一ヶ月後、先生がお見えになり、この前のことを話すと、少し考えて「あぁ、あの時の。別に気にしていなかったんだけど・・・」とほほえまれた。
専門学校で習う、色々な学科については、学生時代「なんで床屋が、こんな事勉強するんだよ」と思っていた。特にテストが近づくと・・・。しかし、今、現場に立ってみて、いろいろ考えると、お客さんに質問に答えられたからという訳ではないが、全部が、いろんな面で理容に関わっているのが、はっきりわかる。ドライヤーを直すのは物理。照明は公衆衛生。あの時、つまらない物だった教科書が、今読むとすごくおもしろい。
今になって本当のテキストとして活躍している。押入の中で眠っていたボロボロの教科書たちは、今では、辞書と一緒にいつでもとりだせる本棚にドンとかまえている。

(平成元年7月 第164号)


パーマ記念日

土曜日の混雑した夕方、仕事の流れで自分がご案内した人がパーマのお客さんだった。近頃たまにパーマのお客さんにも入れてもらえるようになった自分は、先輩達の手が、みんなふさがっていたので、独断でそのお客さんに入った。多少の不安はあったが、いままで入ったパーマのお客さんは結構うまくいっていたので、気にも留めなかった。
お客さんのオーダーをとり、ロッドを選定し、ワインディング。巻き終えて30分弱。順調。順調。このぶんだと、また二時間きれるぞ。・・・この時はまだ、これから起きる悲劇に気づくよしもなかっく、心は軽かった。
テストカール。「全然弱いな!?もう一回一液をつけて時間をおこう」数分後、全然変化なし。「もうちょっと時間をおこう」また数分後、全然パーマがかかっていない。お客さんもこちらの状況に気づいたらしく、何かと目線をあげるが、マンガを読むのに忙しいらしく、すぐその目はマンガに戻る。ラッキー!ここは、マンガでなんとかこの状況を繕おうと思い「マンガの続きを持ってきました」と、三冊くらい渡してやり、お客さんの気をマンガに引かせた。また時間をおいたが変化なし。しかたなく、お客さんにパーマのかかりにくい状態を一つづつ聞いたが、それらしき原因は見つからなかった。
どうしようもなく、マスターに相談しにいった。「そのままお湯で洗って、もう一度一液をつけろ」と指示された。お客さんに事情を説明し、そうした。自分の予定とはだいぶ違うが、なんとかウェーブがでて、仕上げてお客さんを帰した。
約三時間!パーマをあまくみて、軽々しくパーマのお客さんに入ったバチがあたったかな・・・。終わって、マスターと話し、一液を四回も付けたと言うと「前代未聞だな」と怒られた。「どうだ幸市、パーマは難しいか?」気力を使い果たした自分は、頭を一つだけ下げた。「俺は、お前はもうパーマをできると判断してお客さんをやらしているんた。後はお前が勇気をだしてお客さんに積極的に入っていくことだ。これくらいで、自信をなくすなよ」と励まされた。その一言で、だいぶ気が楽になったものの、これから幾度となくこんな事があるのかと思うと、前途多難な自分の人生に頭が痛くなってきた。

(平成元年8月 第165号)


くしが訴える

よくしゃべるお客さんだった。刈り上げの時は、あまり話しかけてほしくないのだが、愛想良い返事だけはかえしていた。カットが終わるとお客さんは「これは、言った方がいいよな!?くしの入れ方が下手んなんじゃない。くしが痛いよ」と言ってきた。ハッと思った。今月おろしたばかりのくしがある。そいつが痛かったのかもしれない・・・「このくしじゃありませんか?」と、失礼をお詫びして、お客さんの頭にくしを入れさせてもらった。「これだよ」お客さんはイヤな顔をした。他のくしも入れさせてもらったが、なんともなかった。くしの歯がとがりすぎていたことを説明して「言ってもらって助かりました」と謝った。が、俺はそんなに人間ができていない。内心「一生懸命やってやってんのに、これぐらいで痛いなんて言うなよ、タコ!」と、そのイヤミったらしい言い方に、はらわたが煮えくり返っていた。
マスターにその話しをすると「既製品を買って、みんなと同じだなんて言っているのはアマチュアだよ。プロなら手をくわえて、ちゃんと自分用に改良しろよ」と言われた。
その夜、くしを直しながら思った。考えてみると、今使っているくしで、まともに使えるのは、理容学校時代に造ったくしだけである。あの時は、くしの先は、こうならないために、こうするんだぞと教わっても、それは、理屈だけで、自分で造っていても気にも留めなかった。たが、今それが実感となって自分に返ってきている。他の理容学校では、くしを造ることを教えない学校もある。親でも、そんなことをする時間割りがあるなら、ワインディングの時間を増やせと言う人もいる。だが俺は、今となって思うのだが、くしを造るということも、めんどくさいことだが、くし自体を理解するということで大切なことだと思う。当時、ヘラヘラしゃべりながら造ったデコボコのくしを、ここまで、使えるように直してくれた、中央の尾崎先生に感謝したい。

(平成元年9月 第166号)


どうだ、簡単だろう!?

日に何人か、カットさせてもらえるようになり、ハサミの切れ味が鈍ってきた。そこで、マスターに研磨を教えてくれるようお願いをした。マスターのやり方は、学校とは違い、機械を使うやり方で、ハサミ研磨機なる奇妙な機械を持ち出してきた。「どれだ、切れないのは・・・」「ほとんど全部です」「じゃあ、ミニバサミよこせ」マスターは、鮮やかな手さばきでハサミを研磨していく。新しい物・珍しい物に目のない俺は、早くその機械をいじりたくてウズウズしていた。
あっとい間にマスターは研磨を終え「剃れるくらいに切れなきゃダメだぞ」と、腕の毛を剃って見せた。ハサミがこんなに切れるものだとは思ってもみなかった。「どうだ、簡単だろう!?」「そうですね」しかし、そのセリフの裏に隠された、マスターの真意を、その時点で俺は見抜けなかった。
「よし、動刃はお前がやれ」よーし、やっといじれるぞ、簡単そうだから大丈夫だろう・・・マスターが色々と注意を言っていたが、おもちゃをあたえられた子供のように、その機械に夢中で、耳に入ってこなかった。(今だから言える)また、この年で「俺、自分のハサミは自分で研磨しているから・・・」なんて言えたらかっこいいじゃないかと勝手に思いこみ、興奮をおさえられなかった。
ガガガー。ガガガー。なんかうまくいかねぇな。ガガガー。ルーペで刃先を見る。酔いが一気に冷めていくような気分だった。まずそうな顔をしてマスターを見る。「挾間、削りすぎちゃいました」「簡単じゃないだろう。お前の様子じゃ失敗するんじゃないかと思ってミニバサミにしたんだよ。長バサミじゃ、直すの面倒だからな」マスターは全てお見通しだった。
「本当に、お前は期待にこたえてくれるよなぁ」「よく言われます」コツン。頭をこずかれた。俺の失敗はあまりにも大きかったらしく、マスターが一生懸命直してくれた。この業界。なんにしても簡単にできるものなどない。ひとつ勉強になった。
こんな事が何度もあると、俺はなんてややこしい世界に足を踏み入れたのだろうと思うことがある、しかし、山之内幸夫氏風に言うなら「行く道は、行くしかない」のである・・・・。

(平成元年10月 第167号)