EPISODE


失敗を経験に

「大沼君、昨日のニグロパーマの人、失敗したの?」「はぁ?」何の話か理解できなかった。「パチンコ屋さん!かけ直しに来るって電話があったわよ」俺が失敗したという事で、とんでもないミスじゃないかと、みんな大慌てだった。パーマがかかっていないという苦情だったらしいが、自分ではこれといって、大きなミスをした覚えはなかった。
やり直しにこられるのは、初めてのことだった。昔は、よく、こんな事があったらどうしようと、いつもお客さんを帰したあと、ビクついていたが、いざそうなってみると以外と平気だった。むしろ、自分はそんな大きなミスはしていないという自信があったからか、来るなら来いといった気持ちだった。
お客さんが来た。「後ろの方だけど・・・」とっさに後頭部に目が走る。「俺はたいして気にしていないんだけど、周りがみんなかかっていねぇって言うもんだからよ」マスターと一緒に謝り、椅子へと案内した。結局、後頭部の一部分を、かけなおすことで話がつきさっそくとりかかった。しかし、毛が短い上に、パーマがかかっているから、なかなか巻けやしない。
「やったって変わりねぇよなぁー」そんな気持ちが先立ち、イライラが全身にみなぎっていた。放置タイムでマスターに呼ばれた。「かかっていないんじゃなくて弱いんだよ。切りすぎだな。あんなのかけなおしたって同じだよ。」マスターの言うとおり、かけなおした後でも変わりはなかった。むしろ短いのを無理に巻いたから、余計悪くなったような気さえした。お客さんは、あまり口うるさくなかったので、納得して帰っていった。
家の親父が「失敗するなら修業先でしてこい!帰ってきてからすると店の損失になる。今はいいんだよ勉強してるのだから、怖がらずにガンガンやってこい!!」とジョークまじりに言っていた。その言葉が頭にあるのか、または仕事に多く入れてもらえるようになり、失敗を繰り返しているうちに度胸がついてきたのか、今回は、あまり、落ち込まなかった。が、ちょっとパチンコに行きづらくなったなぁ〜。

(平成元年11月 第168号)


史上最大のピンチ・前編

静かな朝だった。定時に店へ出て掃除をしていた。ガラリと裏口の戸が開く。「また、開店前のお客さんか!?よくまあ、朝早くから来るものだよ・・・」挨拶をして、客待ちに案内する。「兄ちゃん、こんなになっちまったよ。まいったなぁー」何を言っているんだオヤジ、俺はお前なんか知らないぞ・・・と、心に思い、その場を離れようとした。
「毛染めよ・・・」ハッ!踵を返した。顔が変わっていて解らなかったが、たしか五日ほど前に毛染めをしたお客さんだった。ひどくカブレをおこしていて、顔が腫れ上がり、頭からは水が垂れ落ち、目は瞼が腫れて、ほとんど開いていない状態だった。見るも痛々しい様だ。失礼ではあるが、皮膚科学の教科書に載せたいくらいすごかった。
「やっぱ薬があわなかったのかな?」なんてこった。あれほど注意してやったのりに・・・はじめてのお客さんだったので、毛染めをする前に、必要以上に問診をした。今までずっと毛染めをしていてなんともなく、カブレ、かゆみも出たことがないというので、パッチテストはあえてしなかった。
自分なりに状態を聞き、痛みはないというので、少し待ってもらい、マスターに連絡をとった。マスターがとんできてくれ、とりあえず、あの日以来、頭を洗っていないというので、ぬるま湯で頭を洗い、病院に連れていくことになった。マスターの知っている病院に電話を入れ、自分が病院につきそった。
待合室で待たされる。その沈黙の時間が辛かった。何を話しかけていいのやら、とりあえず出る言葉は、謝りの言葉だけだった。お客さんもいい人らしく、気を使ってくれ「俺が大丈夫だって言ったんだから、気にすんなよ」と、何度も言ってくれた。
名前を呼ばれ、お客さんにつきそい、自分も診察室に入っていった。「話は聞いている。いやぁ、これはひどいなー」先生は、その年老いた顔にシワを寄せ、お客さんの頭をジロジロと見だす。「パッチテストをしたのかね」と、いきなり怒鳴られる。自分が返事を刷る前に、お客さんが気を使ってくれ「俺が大丈夫って言ったんだぁ」と、言ってくれた。「君も過敏症なんだから毛染めなんかしちゃダメだ、とりあえず、薬だしておくから・・・」治療らしいことは何もせず診察は終わった。
もう一度お客さんを店に案内し、マスターともろもろについて話し合ってもらった。自分は、もう下がっていいと言われたが、自分がやったという責任もあり、マスターの後ろにずっと立っていた。後日又連絡をくれるという事で話がつき、お客さんは帰っていった。「よし、全員集めろ」マスターの召集令がでた。静かな朝が急にあわただしくなった。
はたして、あのお客さんは無事元の顔にもどれるのか?こんなことになっても自分は理容師を続けていけるのだろうか・・・・!?

(平成元年12月 第169号)


史上最大のピンチ・後編

「全員集めろ」マスターの召集令と共に、スタッフが集まってきた。「みんなもう知ってのとうり、今朝の毛染めの人、名前は○○さん、年齢は△歳・・・」お客さんについての説明が続く。「医者の診断は重度のカブレ。でも、薬をつけて二〜三日で治るそうだ」その後続けて、病院での詳しい様子を自分が説明した。心苦しそうに説明していた俺を見かねてか、すかさずマスターが「一つだけ言っておくが、今回の件は大沼が悪いわけではない。俺は隣で大沼の問診を聞いていたし、あの場合なら誰だって毛染めをしていたよ」とフォローを入れてくれた。俺もやった事への責任は感じていたが、自分判断は間違っていないという自信はあった。むしろ、俺が心苦しかったのは、お客さんが本当に治るかどうかということだった。
「まあ、起こってしまった事は仕方がない。問題はそれにどう対処するかだ」つかさずスタッフ意見が飛び交う。「とにかく、俺が店主としてしなければならなかったことは、まず染め粉が原因なんだから、温水でそれを流す。そして、病院に連れていくこと。それから、毛染めを扱っている業者、メーカー、製造元、保険屋に連絡をとり、毛染めとカブレについて・カブレた時の対処の仕方、その他もろもろについて情報を得ることだな。それによって、これからどうすべきか、おのずと答えが出てくるからな」こういう状況下で一番大変なのは、やった俺より、むしろ責任者であるマスターある。しかし、マスターは最悪の状況に一歩も引くことはなく、毅然たる態度で事態の収拾に取り組んでいた。そんな姿を見ていると、不思議と自分もつられて「大丈夫た゜!!」という気になってくる。
「今回の事は、お前達の未来に向けてのいい勉強になったな!いつ起こるかわからないことだし、こんな事がないかぎり、毛染めの怖さを実感できないからな」・・・色々な意見が飛び交いミーティングが終わり、何事もなかったように営業は続けられていく。一週間後、お客さんは治ったと報告しに来てくれた。一番心配だったのは、わざとカブレさせて、ゆすりに来る奴がいるということだったが、その心配は無用だった。「迷惑かけたね」と言われ、張りつめていた糸が切れたように、力が抜けホッとした。いい経験をさせてもらった。俺は、このお客さんに感謝しなければならないのかもしれない。

(平成2年1月 第170号)


さらば、兄貴

先輩が店を卒業し、田舎に帰っていった。俺が店に入りたてで、右も左もわからなかった頃から、かわいがってくれた俺の兄貴分だ。兄貴には仕事の他、飲む・打つ・買うのお琴の三拍子も教わった。良く一緒に飲んでは朝まで激論した。マスターに言えない事も兄貴にはなんでも言えた。
飲み屋では、兄貴と行って金を払ったことがなかった。「俺はマスターに、こういう場では、下の者の面倒をみてやれと言われている。今はださなくてもいい。お前が上になったら、お前もこうしてやれ」と、金を払おうとすると怒られた。下の者をかわいがれというマスターの教えをしっかり守り、俺のような生意気な後輩でも、よく面倒をみてくれた。
俺が講習会や競技会を見に行くようになったのも、兄貴の影響である。
わがままで、頑固で、よく俺はひっぱたかれた。聖人と四部にはほど遠いひとだが、俺から見ればエクセレントな人だったし、いつも兄貴のようになれたらと思っていた。
・・・そんな兄貴がいなくなった。俺を守ってくれた壁が取り除かれ、砂漠の真ん中に一人放り出された気分だった。兄貴がやめていった夜、ベッドの中で、色んな事を考えた。今までの事。これからの事。外は雪。サザンの曲だけが心にしみてくる。
「幸市よ、俺がやめるということは、お前にとってはチャンスなんだぞ。上の仕事がまわってくるし、のびていくいい機会なんだ。今度は、お前が下の者をひっぱっていけよ!」最後まで兄貴はかっこよかった。
俺も、店に来て三年になる。もう、ちょっとイヤなことがあっても、店をやめるということはないだろう。ここまでこれたのも、兄貴が俺をひっぱってきてくれたからだと思う。はたして、俺が独り立ちして、兄貴のように下の者の面倒をみていけるようになれるかどうか不安はあるが、兄貴から教わった事は、しっかり下の者に伝えていくつもりである。
いい時代に兄貴(木村浩之氏)に会えて良かった。「兄貴!元気な・・・」

(平成2年2月 第171号)