EPISODE 8


外人のお客さん

店に、フィリピン系の外人のお客さんが来て、俺が入ることになった。以前来たこともあるし、片言の日本語も話せるようなので不安はなく、イスにご案内した
「カットでいいですか?」「ハイ」オーダーは、頭の色々な所を指でさして聞いた。「ここはどれだけ切りますか」「ハンブンネ」「後ろはどぅおでぇすかぁ〜?」「スコシダケ、チョット」「これくらいでぇすかぁ〜」「OK!」ふと横を見ると、後輩がこっちを見てニヤニヤ笑っている。道具を取りに行きがてら「オイ、何笑ってんだよ」と聞くと「大沼さん、日本語の発音が変ですよ」と言う。どうやら、知らず知らず、あの独特の外人と話すときにでる「〜ですかぁ〜」みたいな尻上がりの発音になっていた。俺も内心馬鹿らしくて笑ってしまったが「しょうがねぇだろう」と、とりあえず、恥ずかしさを隠しながらカットに入った。
いい人そうだったので、何か英語で話しかけてみようかなという気持ちが湧いてきた。でも、俺は学生の頃から、英語は苦手だったからなぁ。いや、でも某理容雑誌の「ケント・ギルバートのヘアサロンひとくち英会話」で勉強してるしな。でも、マニュアル通りの答えが返ってくるとは限らないよなー。それと何より、周りの人の目が気になり、恥ずかしくて話せずにいた。
そうこうしているうちに、セットになってしまった。すると運良く、スタッフみんなお客さんが終わって食事にあがっていった。店は俺とお客さんのの二人きり。よーし、いっちょうやるか!!恥のかきすてだ。
「What kind of set up would you like ?」(実際はこんなにうまく言えていない)「Oh back」それから、なにかと英語!主語や述語に関係なく単語をつなぎ合わせただけのメチャクチャ英会話。それでもなんとか通じて、お客さんは、俺のとぼけた英語を楽しんでか、馬鹿にしてか、さだかではないが、ニコニコして店を出ていった。
こういう時は、本当に英語ができたらとつくづく思う。現在は国際化社会で、週末の六本木などはニューヨークなみに、色々な人種が溢れている。理容室に外人のお客さんが来るのも、珍しくはない。理容学校でも英会話の授業ができたそうだが、実際、理容師にも英語力が必要とされる時代がきているのかもしれない。あーぁ、そんなことなら、もっとよく勉強しとくんだったなぁーー。

平成2年6月15日 第175号


はじめての指名

「大沼!お前にやってほしいって人が、今来るって」先輩が電話を切ると、そう話しかけてきた。「えっ、誰ですか?」「○○さんだって」また直しか。一瞬、不安が心をかすめる。・・・○○さん、あまり聞き覚えのない名前だ。先輩もどんな人か検討がつかなく、俺は悪い方へと考え、ソワソワしてしかたがなかった。
「どうも、○○です」来た!顔を見て納得した。確かに一度やったことがある。どうやら直しではないようだ。「大沼さんに、前に一度やってもらったパーマ覚えています?もう一回やってもらえますか」「はい」本当は、どんなパーマをかけたのかは、はっきりとは覚えていなかった。だだ前回、ヘアスタイルについて色々悩んでいたことに、相談にのってあげたことは覚えていた。「確か、ここが気になるんでしたよね」「そうです。よろしくお願いします」
はじめて俺を指名してくれたお客さんだった。とても嬉しかった。せっかくだから、黙って仕事するのもなんだし、色々と話かけてみた。年は四十前後、嬉しいことに、隣の県から来てくれている。(と、言っても、羽田−川崎間、車で十五分位だけど)以前は、美容室に行っていたが、一回やった俺のパーマがよくて、今はうちの店に来てくれているそうだ。
日頃、文句ばかり言われているから、たまにほめられると、どう対応していいのかオロオロするばかりで「失敗はできない、より気に入ってくれるようにしなきゃ!」そんな気持ちが心をつつみ、さっきのうれしさはどこへやら「大丈夫だろうな、次からこなくなったらシャレにならねぇぞ」と、不安になってきた。「また、お願いします」そう言ってお客さんは帰っていった。なんとかなったようだ。気を使い過ぎて、けっこう疲れた。
そのお客さんは、その後もちゃんと来てくれて、俺を指名してくれる。写真を持ってきたり、毎回注文はうるさいが、はじめて俺を認めてくれたお客さんだ。俺は俺なりに大切にしていきたいと思う。
指名してくれる人達は、失礼な言い方だが、ヘアスタイルにこだわり、注文のうるさい人か、一風変わった人ばかりである。その人達が惚れ込んでくれるのは、技術はもちろんだが、その人のヘアスタイルの要望、悩みを、より親身になって聞いてやるからだと俺は思う。だからこそ、あの人なら何とかしてくれると思い、毎回指名してくれるのだろう。俺は、こんなに俺を信じて、自分の頭をまかせてくれているのに、俺の勉強不足で、要望に応えられないときがある。情けない話だ。もっともっと勉強しなきゃなぁー!のんきに日焼けなんかしている場合じゃないんだよな、実際・・・。

平成2年7月15日 第176号


冒険

それは、ある意味で冒険だった・・・。
「マスター、アイロンパーマやらせてもらっていいですか」マスターは唖然とした表情で俺を見る。それもそのはず、モデルやマスターの頭はやっているものの、まだ、お客さんのアイロンパーマはやらせてもらっていなかったからだ。無茶は百も承知だった。自信があったわけでもない。俺にあったのは男の意地だけだった。
以前、はじめてアイロンをやっていいと言われたのが、今のこのお客さんだった。だが、俺が尻込みしたために、チャンスを逃した。その時の悔しさが、今の俺をいきり立てていた。
マスターの顔が急に強張る。「よし。いいだろう!時間と勝負しろ!」早速、お客さんにとりかかる。長めでゆるめということなので、かかり具合は気にしなかった。とにかくアイロンを地肌につけないように気をつかった。
マスターの頭をやるときは、つけることなど日常茶飯事。ひどいときは、アイロンの先でマスターの白衣をこがしたこともある。「熱い!」と言われることだけが、たったひとつの不安だった。周りの状況が気にならなくなるほど、没頭して巻いた。結果は、二液処理中、浮いてきて部分もあったが、しっかりかかっていたし、仕上がりはまずまずだった。
マスターには、時間のかかり過ぎと、浮いてきた訳など色々と注意された。たったひとつほめられたのは、自分で積極的にお客さんに入ったという事だった。「大沼、お前の勇気は認めよう。チャンスがあるなら、どんどん積極的に入っておけ。お前ができるようになるんだったら、お客さんの一人や二人来なくなったっていいんだからな、俺は・・・」身に余る言葉である。
はじめてお客さんに入れてもらうと、みんな嬉しいと言うが、俺は違う。いつも怖くて逃げ出したい気分になる。でも、こんな風に言ってくれるマスターをみると「やんなきゃ」という気がみなぎってくるだから、俺は、怖がる気持ちを抑え、無茶してでも、積極的にお客さんに入っていく。結果的には、そうやって怒られ、恥をかき覚えてきた事の方が多い。一番大変なのは、俺のケツをふいてくれるマスターである。そのマスターが俺の後ろで大丈夫だと、かまえてくれているのだから、俺は逃げる訳にはいかない。無茶することは良いこととはだとは思わないが、俺はこれからも、どんどん冒険していくつもりだ。ただ、俺の入店以来、増え続けているマスターの白髪が気になるが・・・・

平成2年8月15日 第177号